以前、日本でイベントを開催した際に、ディビッドと私は奈良を訪れました。奈良は日本で最初に仏教が確立された場所であるという点で、私にとって重要な場所です。私は仏教と強いつながりを感じていて、特に「幸せは一時的な状態や物事への執着を手放すことで得られる」という考えに共感をもっています。
仏教において、私たちが所有物にしがみつくことから来る不幸は、“ドゥッカ”として知られています。この概念を理解することで、私たちは不幸を解放する方法について深い教訓を得ることができるのです。人生は本質的に一時的なものであり、もし私たちが地球上の所有物だけに目を向けて幸福を測ったなら、人生はつねに満足いかないものになります。それまでは気がつきませんでしたが、数年前に姉夫婦と奈良を訪れた際に、私はドゥッカを解放するための力強い教えを学ぶことになりました。
私は姉と義理の兄ととても仲が良いです。私は彼らに日本への愛と、仏教においての奈良の重要性を伝えることにワクワクしていました。私たちは一日中、奈良の名所を訪れ、奈良の象徴的なアイコンである人懐っこい鹿との交流を楽しみました。何時間も歩き、寺院や様々な重要な史跡を探索しました。
ある場所で、姉は暖かいからとセーターを脱ぎました。姉はおそらくそのとき、イヤリングの一つを耳から落としてしまったのです。後になって気づいた姉は動揺して、大切で高価なジュエリーを失ったことにがっかりしていました。私は一緒に歩いて戻り、地面のどこかにイヤリングを見つけられないか確認しようと申し出ました。しかし姉は深呼吸をして、ノーと言ったのです。こんな小さなイヤリングは絶対に見つからないだろうし、それを探すのは、失ったことへの失望感をさらに強めてしまうだろうと彼女は言いました。
私は彼女のリアクションを心から尊敬し、それはドゥッカを手放すための強力なレッスンだと思いました。この日本への旅は、姉と私がこれまで一緒にした中で最も特別な経験の1つとなりました。私たちは共に歩き、お茶を飲み、スピリチュアルな話をして、素晴らしい1日を楽しみました。私たちは一生の思い出を作ることができたのです。イヤリングをなくしたことに落ち込み続けていたら、旅を台無しにしてしまったかもしれません。しかし彼女は、世俗的な所有物へ焦点を当てる代わりに、宇宙へそれを手放すことに決めました。私たちは、本当に必要としている人がイヤリングを見つけて持ってくれることを願い、祈りを捧げました。
思い描いていたような幸せがもたらされていないにも関わらず、抱え込んでいるものが、あなたにもありますか?人生において、私たちの多くは不幸を生み出す目標や考え方にしがみついています。もしかしたら自分との関係を望んでいない(または値しない)人との関係を、夢見たりするかもしれません。もしくは、もし叶わなければ絶望してしまうほど、必死になって特定の仕事に就こうとしているかもしれません。真実は、人生には幸せなサプライズだけでなく、失望もつきものだということです。柔軟であることを学び、執着を手放すことは、あなたを最も早く前進させ、成功した幸せな人生を創造する1番の近道となるでしょう。
3回目の訪問となった奈良では、美しさだけでなく、そこにいるときに感じる力強いスピリチュアルなエネルギーに改めて感銘を受けました。奈良を訪れる度に新たな学びを得たり、これから人生を歩む上でのガイダンスを受けとれたりすることを、楽しみにしています。